ジェイ・ギャツビーのシャツの釦は

グレート・ギャツビー』を、やっと読了。
 読書ちゅう、気に入った一節に出会うと付箋を貼っておく習慣があるのだけれど、七章に入ったとたん付箋だらけになって、このあとひとに貸すには気恥ずかしい状態になってきた。
 やっぱり、ギャツビーとデイジーが再会してからが俄然、おもしろくなる。ギャツビーの庭の黄水仙、山査子、スモモ、菫の香りが漂うところなんて、本を読んでいると、白い紙に黒いインクで文字が印刷されているだけなのに、頁にゆらゆらと淡い黄色や紫の影が揺れるみたいだ。夕映えのピンクの雲も、金色の雲も。あるいは、ギャツビーがデイジーに見せるたくさんのシャツの、色彩の奔流も。

 ギャツビーは一山のシャツを手にとって、それを僕らの前にひとつひとつ投げていった。薄いリネンのシャツ、分厚いシルクのシャツ、細やかなフランネルのシャツ、きれいに畳まれていたそれらのシャツは、投げられるとほどけて、テーブルの上に色とりどりに乱れた。僕らがその光景に見とれていると、彼は更にたくさんのシャツを放出し、その柔らかく豊かな堆積は、どんどん高さを増していった。縞のシャツ、渦巻き模様のシャツ、格子柄のシャツ。どれにもインディアン・ブルーのモノグラムがついている。出し抜けに感極まったような声を発して、デイジーは身をかがめ、そのシャツの中に顔を埋めると、身も世もなく泣きじゃくった。

 このシーンで連想したのが、先日観た映画『プラダを着た悪魔』の或る場面だった。
 一流ファッション誌編集部(モデルは『ヴォーグ』)を舞台とするこの映画には夥しいブランド品が登場するのだけれど、わけても印象的だったのが、撮影用に手配した数十枚ものエルメスのスカーフを運ぶ途中、編集アシスタントが自動車に撥ねられるシーン。あのオレンジの箱を飛び出して、ニューヨークの空を舞うエルメスのスカーフ! 主演のメリル・ストリープアン・ハサウェイも出ていなかったのに、忘れがたく、華やかで儚くて、――エルメスのスカーフって、こんな使い方があったのかと思った。
 この先『グレート・ギャツビー』について思い起こすときも、虚しくも賑やかなパーティや、酔いどれたらんちき騒ぎの夜のシーンといっしょに、あの幾枚ものシャツ、ギャツビーのシャツの前立てに並ぶのは白蝶貝の貝殻のいちばん厚いところからつくられた貝ボタンじゃないかな、きっと、と想像したことを思い出すだろう。

「なんて美しいシャツでしょう」と彼女は涙ながらに言った。その声は厚く重なった布地の中でくぐもっていた。「だって私――こんなにも素敵なシャツを、今まで一度も目にしたことがなかった。それでなんだか急に悲しくなってしまったのよ」

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)