『わたしの赤い自転車』

 三年まえに出版されたこの本、どうしてあまり話題になっていないんだろう。私がしらないだけかしら? もっともっと評価されていいと思える内容なのにな。1950年代、世界じゅうがいまよりもつましかったころの、イタリア中北部の農家の大家族で育った少女の思い出語り。 
 農作物の収穫や家畜の飼育といった農家の営み。行商人が売りにきたさまざまなもののこと。やさしくも厳しい小学校の老嬢教師。初めて海を見た臨海学校。ジェラート屋さん。町の広場ちかくの映画館や、夏の星空上映会で観た映画と、初恋の話。謝肉祭の特別のお菓子に、聖ジョバンニの日の前夜のダンスパーティ――この日は胡桃酒にするためのまだ青い胡桃を採る日でもある。そして、赤い自転車。ミニ・ミノールにレコード・プレイヤーをのせてドライブ。やがて世界は物質に呑み込まれるという、予兆。
 行ったことのない異国の、生まれてもいない時代なのに、とてもなつかしい気持ちがした。底意地の悪い田舎の老人たちの目をかすめ、生活を楽しむマンマのたくましいこと。またマンマのつくる料理の、おいしそうなことときたら! べつだん豪華な材料は、つかっていないはずなのに……。すくない品物に囲まれた生活でも充足できる、素朴な時代だったのね。
 なかでも、ふんだんに出てくる手仕事の描写にうっとりした。こどもでも五本針を駆使して靴下を編んだことや、刺繍学校で修道女に刺繍を習うこと。母親が娘の嫁入り道具にと、すこしずつたくさんたくさんあつめたリネン類。外出が許されない隠世女子修道院の修道女は、近隣住民からの賃仕事を請け負って、シーツやテーブルクロスやネグリジェに熟練した縫い取りをほどこす。格子のはまった扉ごしに依頼の布地をうけとると、「イエス、ヨゼフ、マリア」と短いあいさつをかえして。――できあがりは、いったい、どんなだったかしら。

わたしの赤い自転車 (柏艪舎文芸シリーズ)

わたしの赤い自転車 (柏艪舎文芸シリーズ)