七年後も好きでいるだろうか

 めっきり春めいてきたのもほんとうなのだけれど、どうしてひょっこり筍みたいに顔を出す気力が湧いたかといえば、七年前に途絶えたっきりの小説の続きが発表されたり、七年前に雑誌で立ち読みして、その後ずっと単行本化されずにいた漫画がWebで配信されたり、うれしいことが重なったからなのです。
 しかし七年越しとは。すごいなあ。長い、とも思うけれど、そんな長いスパンを軽々と呑み込むくらい生きちゃったのねとも思う。人生の四分の一だ。七年前ってなにをしていたろうと考えると、渋谷の東急文化会館プラネタリウムのあったところ)の古びた石の階段の手触りを思い出す。あるいはおなじ渋谷のBook1st.の建物のなかだったら、いちにちじゅうだって過ごしていられたこととか。どちらの建物も、いまはもうない。
 七年前に好きだったものをいまも好きでいるって、すてきなことだけれど、たとえばいまの私に、これから七年後も変わらず好きでいるくらい大切なものを見つけられるかというと、どうでしょう。すこし自信がない。なにかを強く好きになることは、とても荒々しい感情の動きのようにいまは思える。モラトリアムのころは、魂の一部と等価交換で好きなもの、好きになれるものをつぎつぎと手にいれることができた。きっと貪欲だったのだ。