中島敦『南洋通信』

 一九四一年。持病の喘息のため教職を辞し、南洋庁の官吏としてパラオに赴任した中島敦。東京に残した家族への書簡と、『南洋譚』『環礁――ミクロネシヤ巡島記抄――』からなるアンソロジー
 編集のせいなのかどうか、書簡集は妻たかに宛てたラブレターの束のように読めた。妻名義の手紙が頻々と届くと照れくさいから差出人名を長男のなまえにしろだとか、南洋群島の群の字を郡とまちがえてはダメだとか、開戦後、検閲されるだろうからあまり「あまったるいこと」は手紙に書くなとか、手紙のなかにある妻への指示がこまごまとしていてほほえましい気持ちになってしまう。かと思えば、ああ、このひとは『山月記*1の著者だなあとも思い出させる、こんな記述もある。

  今年の七月以来、おれはオレでなくなった。本当にそうなんだよ。昔のオレとは、まるで違う、ヘンなものになっちまった。昔の誇も自尊心も、昔の歓びもおしゃべりも滑稽さも、笑いも、今迄勉強してきた色々な修業も、みんなみんな失くして了ったんだ。ホントにオレはオレでない。お前たちのよく知っている中島敦(おとうちゃん)じゃない。ヘンなオカシナ、何時も沈んだ、イヤな野郎になり果てた。(また、こんな事を書いて了った。女みたいな愚痴を。これは、誰でも心のスミッコにフタをして置くべきゴミタメみたいなもんだ。心のゴミタメを見せるのは、お前にだけだ。)

 当時日本の統治下にあった南洋での生活(なにせ、パラオから東京に戻ることを「上京」という時代。「帰国」ではなくて!)は、どんなに楽しかったことかしら。だって、春島夏島秋島冬島と、月曜島から日曜島まである、こんなきれいななまえの島々がある場所は、きっとしあわせなところに違いないでしょう? そう思いつつ読みすすめたら、期待された喘息への好影響もなく、仕事への意義も見出せず、現地の風土にも馴染めず、妻や子のことを恋しがって帰りたい帰りたいと手紙につづる鬱々とした日々を送っている。

「お前は島民をも見ておりはせぬ。ゴーガンの複製を見ておるだけだ。ミクロネシアを見ておるのでもない。ロティとメルヴィルの画いたポリネシアの色褪せた再現を見ておるに過ぎぬのだ。
(略)
 お前の中にいる『古代支那の衣冠を着けたいかさま君子』や『ヴォルテエル面をした狡そうな道化』と来たら、どうだ。先生たち、今こそ南洋の暑気に酔っぱらってよろめいているらしいが、醒めている時の惨めさを思えば、まだしも、酔っている時の方が、ましのようだな。……」

 なんだか、ちょっと、現代の私でも見につまされるようなこの記述は、『環礁――ミクロネシヤ巡島記抄――』*2のなかの『真昼』。
『環礁』にはほかに、もう数十年も子どもが生まれない島で唯一、五年前に生まれたばかり女の子にまつわる話(『寂しい島』)があって、このエピソードはさぞかし中島敦の創作意欲を刺激したんだろうけれど、当の女の子が特別かわいらしいのでもないのでがっかりした様子が伝わってきて、おもしろい。あるいは、いまにも中国の怪奇譚がはじまりそうな語りくちなのに南洋の物語なのがなんだか可笑しい『南洋譚』の『幸福』*3や『夫婦』*4だとか。このひとは心底「おなはし」を書きたかったひとだったのねえ。夭折のため寡作なのは、なにより泉下の本人が悔しいに違いないけれど、もっともっと読みたかったなと思う。

南洋通信 (中公文庫BIBLIO20世紀)

南洋通信 (中公文庫BIBLIO20世紀)