中井英夫『香りの時間』

 東京創元社の『中井英夫全集』全十二巻がついに完結するといううわさ。なつかしくなって既刊を引っぱり出してきました。奥付を見たら前世紀の本だったわよ。
 読書ちゅう、気に入った箇所にぶつかるとポストイットをはりつけるくせがあるのですが、結局どの頁にも貼り付けることになって、ポストイットだらけでまるで実用書みたいで恥ずかしくなるのが、私にとっての中井英夫なのです。
 たとえば、

 ピラミッドは文明であり得ても摩天楼がこの先とも文明の遺産となることはないのは、簡単にいってしまえば廃墟として美しいものだけが文明の名に値するということだろう。

 あるいは、

 少女は“アリス”と名づけられたが、少年にはまだ名前がない。誰かが新しく不思議の国を創り出し、優しくかれを解き放ってやるまでは。――

 それを果たす筈だったタルホは、予告のエッセイだけを書き残して行ってしまった。ではミシマは、といえば、少年を愛するよりも少年として愛される方を選んだに違いない。

 もう、ね。もう。もう。


 ところで全集の発刊に十年かかったのは、寄稿するはずだった塚本邦雄がなかなか原稿をあげられず去年没してしまったからだとか小耳に挟んだのですが、その塚本邦雄に関する記述、

 シャンソンを語るとなると、どうしても塚本邦雄との交遊録が欠かせなくなるが、昭和二十六、七年ごろか、三日おきぐらいに交していた部厚い手紙の中味は、古臭い歌壇へのうっぷん(ああ、とうとう鬱の字を丹念に書くのが嫌になった)よりも、お互いが読んだ本、聴いたレコードを、どうさりげなく自慢するかがほどんどだったような気がする。

 「うっぷん」て! (ああ、とうとう鬱の字を丹念に書くのが嫌になった)って! 三日おきに「部厚い手紙」を交わしてたくせに!
でも、原稿用紙のマスを黒々と、埋めたかもしれなかった「鬱」のかたちの万年筆のインクの濡れた跡――を想像して、そのなまめかしさに、一瞬呆けてしまいました。
(だけど想像のなかのインクの色は、ブルーブラックかセピアが理想的なの)