『名訳詩集』

 名詩、ではなく、名訳詩、なのだった。

名訳詩集 (青春の詩集 外国篇 11)

名訳詩集 (青春の詩集 外国篇 11)

 堀口大學の『月下の一群』*1くらいは読んだことがあったけれど、この詩集で、へええ、と思ったのが、上田敏の仕事だった。「秋の日の/ヴィオロンの/ためいきの」も、「山のあなたの空遠く/幸住むと人のいふ」も、「時は春、/日は朝、/…(中略)…/すべて世は事も無し」も、みんなこのひとの訳なのね。すごいことだ。
 外国の詩人の詩集を買うときは、どの訳者のにしよう、という悩みどころがあるけれど、その際の一助にもなる、いい本だと思った。
 というか鈴木信太郎によるボードレールの「旅のいざなひ」がさあ。これがさあ。色とりどりの宝石を精緻に象嵌された、なにかの宝物にしか思えない!
詩歌の待ち伏せ 2 (文春文庫)

詩歌の待ち伏せ 2 (文春文庫)

 併読していた北村薫の『詩歌の待ち伏せ2』のなかに、矢野峰人の編んだ『世界名詩選』の序文が紹介されていた。これも、きっと『名訳詩集』と同じ性格の本なのだと思う。序文に「詩は、翻訳たると創作たるとを問わず、本来、国語の美の結晶たるべきである」と書かれているらしい。
ツァラトゥストラはこう語った』じゃだめで、『ツァラトゥストラはかく語りき』じゃないといけないの! ……という、理由を説明しづらい気持ちを長年抱えていたのだけれど、それですこし腑に落ちた気がした。
 するとここ数日のラテン語熱もその系統なのだろうか。"Seize the day"じゃだめで、"Carpe Diem"じゃないといけないの、ということかしら。
 ちなみに「花発多風雨/人生足別離」の訳は、「花発けば風雨多し/人生別離足る」じゃなく、「花に嵐の喩えもあるぞ/さよならだけが人生だ」じゃないと厭です。