小川洋子『貴婦人Aの蘇生』

 ただ一つ変わっていないのは、瞳の色だった。どんなに残酷な時の流れでさえ、その青色を汚すことはできないかのようだった。それは思慮深さと気高さをたたえ、同時に苦しみと孤独を隠し持っていた。瞳ではないもののように美しかった。私は伯母さんの顔を正面から見るたび、睫毛の奥にある青色のたまりに、指を浸してみたくてたまらなくなる。

 小川洋子の小説のどんなところがいちばん好きか、説明するのはむつかしい。静謐さとか死の匂いとか、どことなく異国ふうで、でもどこの国ともつかない雰囲気の世界だとか。
 けれど、やっぱり私にとってのいちばんは、読んでいると指先の記憶を擽られるところじゃないかな、と、この本を読んで思った。
 たとえば刺繍の、サテンステッチのふくよかな手触り。剥製の動物たちのさらさらとした毛皮。
 作中で主人公が着ている「ギンガムチェックのノースリーブのワンピース」も、伯母が着ている「ヘリンボーンのスーツ」も、きっとワッシャーギンガムのワンピース、伯母さんのスーツはリネンヘリンボーン、と手触りを想像することができる。

「で、ラジオをつけたまま、シートを倒して、眠ることにしたんです。トランクにあった毛布を掛けてね」
タータンチェックの、けば立ってチクチクする毛布?」

 これはきっと、ウールの毛布。
 そして作中では、亡国のお姫さまとしてテレビ番組でインタヴューを受けることになった伯母のために、主人公と恋人が王朝に関する知識を調べ上げて、リング式の単語カードにまとめていく場面がある。あの、ちいさな厚紙の束。いちど外すと嵌めづらい、銀色のリング。
 こうした手仕事への偏愛も、小川洋子の特徴のひとつだと思う(ほかにはたとえば、『薬指の標本』で主人公が標本室で行う事務仕事。あと、初期作品で病院かどこかに勤める主人公がする作業の描写が印象的だった)のに、それについて述べている書評や解説を読んだことがないのは、どうしてでしょう。ふしぎ。

貴婦人Aの蘇生 (朝日文庫)

貴婦人Aの蘇生 (朝日文庫)