『思い出を切りぬくとき』

 萩尾望都の、「唯一の」と銘打たれたエッセイ集です。初出一覧を見ると、古いもので1976年なので『ポーの一族』を描きあげたころ、新しいものは1986年で『マージナル』を連載ちゅうのころのエッセイです。濃い十年間……。
 個人的に、萩尾望都作品のなかでいちばん好きなのは、やはり『ポーの一族』なのですが、このシリーズのなかに、アブサン酒が印象的に扱われている短編があります。アブサン酒のグラスのうえに、角砂糖をのせた銀のスプーンをおいて、そこに水を注ぐと、雫が角砂糖を溶かしながら落ちていき、緑色のお酒がみるみる白濁するという、それはそれは魅力的なアイテムとして登場するのです。
 アブサン酒はなぜか吸血鬼ものの創作によく登場してきて、たとえばコッポラの『ドラキュラ』でゲイリー・オールドマンウィノナ・ライダーがこれで乾杯していたり、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』でトム・クルーズが美少年の血を啜る場面にも、なまえだけ出てきます。だから、飲んだことはないけれど、なにかうっとりするような、極上のシャンパンのようなお酒なんだわ。それとも、吸血鬼たちが愛飲するんだから、血のような赤いワインの、もったりとした濃厚な飲み物なのかもしれない。と、ずうっと夢見るように、想像していました。
 それがちょっと方向転換したのは、長じてから、アブサンが苦艾のお酒だと知ったあたりで、艾……。ヨモギって、道端とか土手に生えてる、あのヨモギよね……。なんだかあんまり耽美じゃないんだけど、ニガヨモギは欧州ではおしゃれな植物なのかしら……と、それ以上の追求を「保留」にしていたんだけれど、今回、このエッセイ集のなかの一編を読んで、一応の落着を見ました。
 それは、萩尾望都自身が、当時読んでいたレイモン・クノーの小説のなかでロマンチックに描かれていたアブサンにあこがれて、きっとすてきなお酒なんだわと早合点して作品に登場させたのだという告白でした。そののちに詳しく調べて、「強度のアルコールのため、フランスの労働者階級が好んで飲む」ということがわかって、ショックを受けているあたりのことが書かれています。

 日本で言えば、いも焼酎じゃありませんか(好きだけど)。ムードが!

 というくだりが、すっごく可笑しいです。
(でも、どうして吸血鬼映画につきものなんでしょうねえ、アブサン。吸血鬼というか、吸血鬼ハンターの映画『ヴァン・ヘルシング』では主人公がアブサンのボトルを携帯しているらしいです。このヘルシングは、サー・ローレンスやサー・アンソニーが演じたあのヘルシング教授とは雰囲気が違っていて、なにせ演じているひとがヒュー・ジャックマンなので。そりゃあ……いも焼酎だわねえ!! と激しく納得したのでした)
 この短編集の表題となったのは雑誌の寺山修司哀悼号に寄せた文章なのですが、そのなかの一節、故人との会話もまた、もうもうおもしろすぎたので、引用せずにはいられません。

 そのうち雑談になり、家の中を手伝ってくれるお手伝いの人がほしいなァ、とおっしゃる。
「寺山さんだったら、ファンの女の子が喜んで食事づくりなんか、来てくれるでしょう」
 と言うと、一人暮らしだから女の子はマズイと言われる。
「ほら、だって、お手伝いの女の子がね、ゾーキンがけなんかしてて、それがとても暑い日で、ふと見たらパッと目と目が合っちゃって、そして蝉がミンミン鳴いていたりするじゃない」
 蝉がミンミン鳴いてどうなるのかと思ったが、先は言わずもがなで続かない。
「じゃ、男の子は。このごろは料理が趣味だって人も多いから……」
「でもさァ、顔が童顔でさァ、体は筋肉がムキムキってのが来たら困るじゃない」
「また、バチッと目が合うんですか」
「そう」

 蝉、ミンミン鳴いてるのかあ……。パッと目と目が合っちゃうのかあ……。こういうひとの短歌だから、好きなのねー、と思いました。
(ちなみに、お気に入りの一首は『かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭』です)

思い出を切りぬくとき (河出文庫)

思い出を切りぬくとき (河出文庫)