中勘助『銀の匙』

 牡丹の柄の千代紙を探しているのですが、いいものが見つかりません。小紋のように花のかたちがパターン化された、素朴な図案のものが理想なのだけれど、あっても豪奢な雰囲気で、どうもイメージと違ったり。
 なぜ牡丹かといえば、先日古本市で見かけた手製本に触発されて、自分で製本してみようと、材料をあつめている本の出だしが、こんなふうなのですね。

 私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の引き出しに昔からひとつの小箱がしまってある。それはコルク質の木で、板の合わせめごとに牡丹の花の模様のついた絵紙をはってあるが、もとは舶来の粉煙草でもはいってたものらしい。なにもとりたてて美しいものではないのだけれど、木の色合いがくすんで手ざわりの柔らかいこと、ふたをするとき ぱん とふっくらした音のすることなどのために今でもお気に入りのもののひとつとなっている。なかには子安貝や、椿の実や、小さいときの玩びであったこまこました物がいっぱいつめてあるが、そのうちにひとつ珍しい形の銀の小匙のあることをかつて忘れたことはない。

 それでぜひ、見出し紙を、文中の牡丹にちなんだ絵柄にしたいのです。ゆいいつ、これなら、と思えたのは、庭園の風景のなかに、季節の折々の花が咲き乱れ、鳥たちが憩っている絵柄でした。牡丹の花のそばにいるのは一対の孔雀。主人公が住む小石川の家の隣のお寺の、玄関の衝立がやはり牡丹に孔雀の絵で、詳細な描写がニ度ほどあり、印象的なのです。
 この中勘助の『銀の匙』は、中学生のときに読んで以来お気に入りなのですが、あらためていま読んでみると、いろいろと感じ方が変わっていて、新鮮でした。十代のころは、やっぱり、主人公が同年代のころを描いた後篇が、読んでいておもしろく、とくに主人公と兄との確執に心惹かれたのですが、いまは、前篇の幼少期が読み応えがあり、鮮やかに感じます。お隣に住む同い年の女の子と、子ども同士らしい他愛もない諍い(Peggy Leeの"I don't want to play in your yard"のような)をして、女の子のきものの袂から友禅縮緬お手玉がぽろぽろ飛び出すところとか、病弱な主人公を猫かわいがりする伯母さんの、お人好しで信心深く献身的な姿とか。
 この伯母さんの人となりは『坊っちゃん』のお清と一脈通じるものがあって、『銀の匙』は夏目漱石の推挙により東京朝日新聞に連載されることになったそうです。
 もし私が当時に生きていて、新聞にこんなお話が載っていることを発見したら、やっぱり、まいにちきれいに切り取り保管して、手元のとっておきの紙や布をつぎこんで綴じつけたくなったろうなあと思います。