温泉のことも甲虫のことも

 温泉に行ってきました。
 といっても遠出ではなくて、近所から乗れる送迎シャトルバスに揺られて三十分ほどの、わりと近場にある日帰り温泉です。
 市内にこんな場所があったとは、と驚くような緑溢れるところに、田舎の旧家のような和風の建物が建っており、そこが温泉でした。お庭には鯉のいる池や、お稲荷さんの小さな鳥居と祠もあって、ますます田舎の旧家ふう。
 お風呂は源泉かけ流し。露店風呂は、お湯の温度や浴槽の深さごとに四つ、それぞれゆったりとした大きさでした。壁には巨大なテレヴィもあり、風を感じながらゆっくりと半身浴というスタイルが推奨のようです。
 食事処のごはんも予想外においしく、スタッフも親切で、文句のつけどころがありません。じつは内心で、こういうところのごはんは、公共施設の食堂に気が生えたみたいで幻滅することが多いんじゃないの、と身構えいたのです。
 帰りのシャトルバスの時間まで仮眠室にいようよ、と主人に誘われて、仮眠所ってあのベッドが並んだ野戦病院みたいなところでしょ……やだ……としぶしぶ従ったのですが、いざ行ってみたら、襖で仕切られた畳敷きのお部屋が三間ほどあって、部屋の隅に積み上げられた座布団や藺草の枕を自由に使ってよい、というところ。ほかのお客さんがいなかったので、夫婦ふたりでのんびりしてきました。
 かすかに聞こえる、食事処のがやがやした声を聞きながら、藺草の匂いにつつまれていると、まるでお盆に本家にある親戚のあつまりに連れてこられた子どものような気分になりました。いままでの人生でそうした経験はないのに、そんなふうに感じたのです。
 こんなにすてきなところがあるなんて、もうほかのスパや日帰り温泉には行けない……と思ったけれど、すてきだなあと思ったのにはやっぱりわけがあって、五歳未満は入場禁止でした。どうりで、スパなどでは恒例の、ちっちゃい子がお風呂場をよちよち歩いていて、転ばないかはらはらして見ちゃって心がやすまらない……ということが、今回はなかったはずです。でも、そうすると、子どもを産んだら五年は来られないのだなあ。ふたり目ができたらさらに数年だなあ。と、まだひとり目もいないくせに、がっかりしました。
 温泉の近くには、一年にひと月だけ、菖蒲の花の季節だけ開いているという菖蒲園があって、そこもあわせてぜひまた訪れたいと思います。
 帰りのシャトルバスを降りて、家まで夜道を歩いていると、道ばたで甲虫が歩いているのを見つけました。このあたりに棲んでいるとも思えないのに、どこから逃げ出してきたんだろう! とりあえず、近くの小学校の校庭まで連れていって放しました。
 私がもし小学生で、夏休みの宿題に絵日記があったら、きょうのことはぜったいに書く。という話を、主人にしました。「でも温泉と甲虫のことを一日に書いたらもったいないので、べつの日の出来事として二日ぶんにする」と付け加えたら「ぼくはそんな姑息な水増しはしない」と断言されました。ええっ。だって絵日記って絵を描くから、詰め込みすぎるとたいへんじゃないか。だからあんまり盛りだくさんなことがあった日は、ネタをストックしておいて、とくになにも起きなかった日に振り分けたりしていたけれど、これは一般的なことじゃなかったの。まあ私はもう大人なのでこうして温泉のことも甲虫のことも一日ぶんに書いちゃいますけどね。