主よ、何処に行き給うか

 クオ・ヴァディスに夢中です!
 といっても、手帖ではない。*1ヘンリク・シェンキェーヴィチによる歴史小説です。

クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)

クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)

(いま流通している岩波文庫木村彰一訳版は、タイトルが『クオ・ワディス』です)
 やっだー、なにこれ、超おもしろいよ?!
 物語の冒頭はローマ貴族の邸宅の描写。これはいかにも「調べて書きました!」という感じの、当時の部屋の名まえや職掌ごとの奴隷たちの呼び方など、目新しいことばの連続で、めくるめくような心地とともに物語の世界へ引き込まれます。
 舞台はネロ帝の治める時代のローマ。ローマ軍の若き軍人マルクス・ウィニキウスが恋をした相手、リギアがキリスト教徒であったことが物語の発端。西暦六十四年、ナザレのイエスが没し(或いは「復活」して)三十余年、まだキリスト教新興宗教だった時代のこと。
 ウィニキウスとその叔父ペトロニウスの企みによって、リギアは優しい養父母から引き離され、ネロの宮廷へと送り込まれてしまいます。そんなリギアをネロの元愛人であるアクテがなにくれとなく面倒をみるのだけれど、めそめそしていたリギアが神に祈ることであっさりと心の安寧を得たときの、アクテのおいてけぼり感が秀逸です。
 いま上巻を読み終えたところ。ここで終わるか?! というような、「引き」のあるところで中巻につづく、です。上巻だけじゃなくて中下巻も買っておけばよかった! すぐにつづきを読みたくても、近所の書店は岩波書店の書籍の取り扱いがないのです……。
 こんなにおもしろいのに、どうしていままで読んでなかったんだろー。それはひとえに、ものすごくふるくて、読みづらい本、という誤ったイメージを抱いてたためです。そんなことなかった。まさか、ノーベル文学賞をとるような、わりとさいきんのひとの本だとは思わなかったの……。
 その誤った認識の源、“Quo vadis”というフレーズは新約聖書の『ヨハネによる福音書』13章36節からの引用とのことで、手元の新約聖書をひいてみました。

シモン・ペテロ言ふ『主よ、何處にゆき給うか』イエス答へ給う『わが往く處に、なんぢ今は従ふこと能はず、されど後に従はん』 ペテロ言ふ『主よ、いま従ふこと能はぬは何故ぞ、我は汝のために生命を棄てん』 イエス答へ給ふ『なんぢ我がために生命を棄つるか、誠にまことに汝に告ぐ、なんぢ三度われを否むまでは鶏鳴かざるべし』

 三回否定して鶏が鳴くって、『聖☆おにいさん』でネタにされてたペテロとアンデレの兄弟漫才の、アレかー! と目から鱗
 そういえば小説のなかのペテロも、復活を疑ったトマスがイエスの脇の傷に指をつっこんだという痛そうな話をしていたわ……。
(と思いながら『聖☆おにいさん』5巻を読みなおすとおもしろい。「復活オメ」の電報がさりげなくうさぎのぬいぐるみつきだったり。イースターバニー?)

聖☆おにいさん(5) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(5) (モーニング KC)

 古典って、人生のどこかでとうにそのパロディなり本歌取りなりに出逢っているから、危険ですねえ。
 そういえば、ホメロスの『イーリアス』も読みかけなんだけど、アキレウス大活躍のくだりで、どうしても映画『トロイ』の金髪・ミニスカ鎧のブラピの姿がチラついて、まじめに読み進めることができません。もう、ひらきなおって脳内でハリウッドスター総出演くらいの勢いで読み進めるべき? しかしそれは……ジョニー・デップをだれ役でキャスティングするかで悩んじゃって、それはそれで読書が進まなそうな惧れがあるわね……!(とりあえずいえっさ役は却下したい)
 あ、でも『クオ・ワディス』のペトロニウスも、ジョニデが演じているところを観てみたいような、ちょっと癖のある魅力的な人物です。歴史上のペトロニウスが著したのが『サテュリコン』とのことなので、こちらもおいおい読んでみたいものです。

*1:しかし手帖に“Quo vadis(あなたはどこへ?)”とつけるネーミングセンスはすてき、と思います。開発当初、見開き1週間のフォーマットをスタンプにして白ノートに押していたというのも、個人的には萌エピソード。