『クォ・ワディス』(中)、(下)

 上巻まで読み終えていて(id:moony:20100902#p1)、つづきを、イタリアからの帰りの便のなかで読み倒しました。
 獣苑の猛獣たちの遠吠えがローマじゅうに響き、寄り添う恋人たちに不吉な未来の予兆を投げかけるシーンなどを読むと、まだ瞼に残るローマ市内の各地の遺跡などが自ずと思い起こされました。ペトロが表題の台詞をしゃべるアッピア街道も、道の両端に生えるカサマツがまるでアーケードのようになっているのを、カプリ島へのオプショナルツアーの際に見たばかり。感動も一入。
 しかし、お話のほうは「結局、キリスト教を信じていればしあわせになれるっていうこと?」ということで落ち着いてしまって、なんだか。なんだか。
 いっぽう、キリスト教徒に恋をした甥っ子に便宜をはかったり、ペトロを心のなかで認めたりしているペトロニウスは、しかしキリスト教はやっぱり信じられないと確信していたり、ネロ帝の廷臣なのにローマ帝国的なものをはすから見たり、なんとも現代的な人物で、共感できるのでした。キリスト教徒たちの受難も物語の根幹ではあるのだけれど、このペトロニウスが政敵と丁々発止のやりとりをし、危険物のように取り扱いの難しい皇帝の心理をあやつろうと駆け引きを巡らす宮廷劇が、格別におもしろい! 影の主人公という感じ。
 ネロ帝もまたとても印象的に描かれていて、大きなエメラルドを遠眼鏡のかわりにつかい、ぎょろぎょろあたりを見回している初登場シーンがまず強烈。自作の詩の韻律の乱れをペトロニウスに指摘されて恥ずかしがるところなど、暴君というより暗君という風情でした。
 この小説の舞台を巡る旅、もおもしろそうです。

クオ・ワディス〈中〉 (岩波文庫)

クオ・ワディス〈中〉 (岩波文庫)

クオ・ワディス〈下〉 (岩波文庫)

クオ・ワディス〈下〉 (岩波文庫)