右には永遠に君

 福田尚代の、回文と転文の本に夢中です!
 この日(id:moony:20110119#p2)購入したのは、『福田尚代 初期回文集』と『飛行縫う戀』の二冊。
 回文とは、前から読んでも後ろから読んでもおなじ字や音になる文章、「新聞紙」とか「竹藪焼けた」とか「長き夜の 遠の睡りの 皆目醒め 波乗り船の 音の良きかな」とか「世の中ね、顔かお金かなのよ」とか「スキトキメトキス」とかですね。

誰か寝間に招かれた


キスのない恋なの、好き


善い詩 苦痛は酔う老い
嘘に代わり百合は彼にそう言おう
「世はうつくしいよ」


右には永遠に君


『飛行縫う戀』

「上から読んでも下から読んでも」*1という条件を満たすだけではなく、世界観が伝わってくるような、雰囲気のある文字列が並んでいます。
 いっぽう転文は、「問」と「答」に分かれていて、答のおしりから読むと、問のあたまから読むのとおんなじになる、というしくみ。たとえば、こんな。

  問

照る月光 世に溶いた
樹木遠く その牡鹿
やまびこは鳥の離脱
夢 書きとる鷹 舞い降りた
彼の森と気高い晩か


 答

寒梅か 竹取物語を今 語る時
亀ゆったり祝詞はこび
まやかしを覗く音
聞きたいと女御告げる手


『福田尚代 初期回文集』

 濁音や半濁音、促音、拗音は清音とおなじと見なすというルールが日本語の回文にはあるそうですが、ここまでできるのか(長さ的に)! そしてこんなにイマジネーション豊かな単語の配列になるのか!! と、びっくりしたのでした。
 あと驚いたのは、やまとことばの、回文における大活躍ぶりでしょうか。「罪」は、ひっくり返すと「蜜」なのねえというのは、なんだか納得してしまいます。
 ところでこの『初期回文集』、あとがきがとてもおもしろいです。「回文を自分が作っているという自覚がなかった。回文は言葉の世界に既に最初から存在していて、自分は単なる発見者と意識していた」というくだりは、ダヴィデ像を掘り出すミケランジェロか、『夢十夜』の第六夜か! と思うし、郵便局に勤めていたころの作業の描写なんて、まるで小川洋子の小説みたい!
 だがしかし、なんとも残念なことに、この本、Amazonへのリンクで紹介できないのです。なぜならISBNがないから! 一般に流通していない本のようで、著者のHPによれば*2、売られているのは私が購入したブックギャラリーにおいてだけ*3。こんなにおもしろいのに、全国津々浦々の店頭に並んでいないなんて、私はとても衝撃を受けましたよ。


(付箋まみれになった二冊)

 ただし朗報がひとつあって、この著者による連載が雑誌の「すばる」に先月号から載っているそうです。やっぱり、おもしろいものは世に出る運命なのね。集英社のことしの使命は、このひとの作品集を文庫化することだと思うわ。
すばる 2011年 02月号 [雑誌]

すばる 2011年 02月号 [雑誌]

*1:いま気づいたけれど、これ、縦書きならではのフレーズですね

*2:http://naoyon.web.fc2.com/kaibun.html

*3:通販もしているようです。http://www6.kiwi-us.com/~popotame/shop/