『ロスト・ボーイズ―J.M.バリとピーター・パン誕生の物語』
映画『ネバーランド』(id:moony:20110123#p1)で興味をもった、J.M.バリの伝記です。あたりまえだけれど、映画には事実と異なる脚色された部分があったことがわかりました。
- 『ピーター・パン』を書くまえから、バリは売れっ子文筆家
- バリと仲良くなるデイヴィス家の男の子たちは、四人兄弟ではなく、五人兄弟(育児たいへんそう!)
- 男の子たちと出会ったとき、彼らの父親はまだ存命で、つまりシルヴィア・デイヴィスは未亡人ではなかった
五人兄弟じゃ多すぎて描き分けできないよねとか、お父さんとその死まで含めるのは映画の尺じゃむりだわとか、いろいろと納得したのですが、いちばん大きな改変と感じたのは、バリとシルヴィアの邂逅でしょうか。このふたりは現実では、とある晩餐会で同席したのが初対面で、その折の会話のうちに、
- バリの愛犬ポーソスの名まえは作家ジョージ・ドゥ・モーリエが著した小説にちなんで名づけた
- ジョージ・ドゥ・モーリエはシルヴィアの実父
- 父の小説の登場人物にちなんで、シルヴィアは自分の息子にピーターと名づけた
- バリが日ごろケンジントン公園でいっしょに遊んでいる顔見知りの男の子たちのひとりの名まえがピーター
- その少年たちの母親がシルヴィア
……と、めくるめくような事実の発覚があって親しくなるのでした。こう書いてみても、あまりにも出来すぎた展開で、映画のエピソードには向かないよねえ、ということがしみじみわかります。事実は小説より奇なり。
で、映画では二人の肉体関係がほのめかされる(……と私は思っている)のですが、それはどうも、なかったんじゃないかなあ。むしろ本を読むとバリの性的不能のほうがほのめかされている印象です。新婚旅行当時のバリ自身のメモにも不首尾の雰囲気が漂うし、バリの妻メアリの不倫について、シルヴィアの姉妹が「あれは完全にバリの責任。彼が子どもをつくらなかったせい」という手紙のやりとりをしています。
そう、この本を読んで圧倒されるのは、バリ自身のメモに始まって、関係者の日記やら書簡やら当時の新聞記事やら、はては離婚裁判の証言までに引用元が及ぶ、夥しく生々しい記録の数々です*1。こういうスタイルの伝記は、著者の匙加減ひとつ、なにを引用してなにを引用しないか、で浮かび上がる像がまったく異なってしまうのは理解しているのですが、緻密なパッチワークのようで、読んでいてわくわくしてきます。
物語の『ピーター・パン』で印象的なエピソードとしては、乳母車を抜け出して遊びまわっていたピーター・パンがある日家に戻ってみると、子ども部屋の窓は閉ざされ、ピーターのもののはずのベッドにはべつの赤ちゃんが寝ており、母親はその子にかかりきりでピーターに気づくことがなかった……というのが、子どもむけとは思えないビターさかげん!! と前まえから気になっていました。じつはバリの幼少時、母親にことのほか愛された次兄が亡くなってしまい、バリは亡き兄の代わりになろうと兄の服を着てみたけれど母の心を慰めることは叶わず、バリ自身が「見えない子ども」だった実体験に基づいているようです。ううん、ビター……。
その一方で、これは完全に映画の脚色だろうと思い込んでいたデイヴィス家への『ピーター・パン』の出張舞台が、しっかりとほんとうだったのは衝撃的でした。バリの親しい友人にキャプテン・スコットというひとがいて、彼こそあの南極探検のロバート・スコット! という事実にもびっくり。南極で発見された遺品にバリ宛の手紙が含まれていたそうです。スコット南極探検隊の本も読んでみようかしら……。でも『ピーター・パン』以前のバリの著作をおもしろそうなのよね……。読んでいて、つぎに読みたいと思う本ができるのが良い本、と私は勝手に思っているので、この本は良い本です。
- 作者: アンドリュー・バーキン,鈴木重敏
- 出版社/メーカー: 新書館
- 発売日: 1991/02/01
- メディア: 単行本
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