『ヤバい経済学』

 相撲の八百長について書かれているらしいと聞いて、興味を覚えて読んだ本。

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

 ……なんだかすごいタイトル。本文もかなりくだけていて、しゃべりことばのようで読みづらいのですが、序章の、「一九九〇年代に米国の犯罪率は激減した。その原因はなぜか?」「七〇年代に中絶が合法になったため、生まれてこなかった子どもたちが犯罪予備軍となっていたはずの時代になって、犯罪発生率が激減したのだった」というくだりがとてもショッキングで、ひきこまれました。
 お目当ての相撲については、米国の読者向けに本場所のシステムの説明に紙幅がとられたのか、目新しいことについての記述はさほどありません。七勝七敗の力士が千秋楽で勝つ確率が高い、というのはいまさらデータで提示されるまでもない感じ。
 いっぽう、予想外に面白かったのは、米国での赤ちゃんの名づけについての章でした。架空の経歴の履歴書を、名まえだけ変えて一通は「デショーン・ウィリアムズ」、もう一通は「ジェイク・ウィリアムズ」名義でおなじ会社に送ると、面接に呼ばれやすいのはジェイク・ウィリアムズのほう。ジェイクは白人の親が子どもにつける名まえ第一位で、デショーンは黒人の親が子どもにつける名まえの第一位。
(一般的に、米国の履歴書には写真をつけないので、名まえが人種の判断材料になるというわけ)
 この、人種による名づけの傾向の差、というと、以前、映画『ドリームガールズ』(id:moony:20070321#p1)を観た際に、興味をそそられたシーンがありました。ビヨンセ演じるヒロイン(芸能界のスター)のもとを訪れた白人の映画プロデューサーが、彼女を主演にと望んでいる映画の脚本を差し出すと、その役名について「こんな名まえの黒人の女はいないわ」と鼻で笑われるのです。そんなにはっきり言い切れるほど差異が見られるものなのね、と感心したのですが、今回、思わぬところで詳細を知ることができました。
 標準的なものとは異なる綴りの名まえ、というのも昨今増えていて(これ、綴りを漢字と置き換えて考えると、米国だけじゃない、日本でも見られる傾向ですね)、たとえば女の子の名まえの「ジャスミン」の綴りは、ふつうなら「Jasmine」。で、わざと綴りを変えているのか、それともうっかり間違えたのか、この名まえのヴァリエーションを、ある順番で並べると、一位から「Jazmine」「Jazmyne」「Jazzmin」「Jazzmine」――標準的な「Jasmine」は八位にやっと出てくる。これはなんの順番かというと、親の平均就学年数の短い順です。
 翻って、親の平均就学年数が長い、白人の女の子の名まえ第一位はというと、「リュシエンヌ」! ジャスミンとリュシエンヌって、その名まえからぱっとイメージできる女の子の像を並べると、とても同じ国の子同士には思えない。でも、どっちも米国の赤ちゃんの名まえなんですね。
 そのほか、名まえの流行について、低所得者層の親は自分の子どもに、中所得者層に多い名まえをつける(たぶん、子どもが階層を上昇することを願って)、そうするとその名まえは、中所得者層の親が自分の子の名づけに用いることはなくなって、低所得者層だけの名まえになってしまう……という傾向があるそうで、これも日本とはずいぶん様相が異なるように感じました。
 名は体を表す、とはよくいわれるけれど、じつは、名まえから立ち上るのは子ども自身より、むしろ親の情報のほうが多いのかもしれません。