『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』

 ものすごくおもしろかった。映画字幕、というと、あの独特の字体を書く職人さんのことがまっさきに思い浮かぶけれど、字幕の内容そのものを担う字幕翻訳家の話も興味深かった。字数制限や放送禁止用語あるいは「政治的に正しい言葉」への批判といった、なじみやすい話題から、観客の教養の格差が開いたことによる弊害まで。
 とくに、へえ、と感じたのは映画『ロード・オブ・ザ・リング』字幕問題について、ちらりと述べられたくだり。原作ファンが字幕について抗議したことから始まったあの一件はインターネットの普及なくしてはありえなかったろうし、実際に私も当時ネット経由で情報を知り、印象深い出来事だったので、あれは字幕の専門家からするとこう見えるのね! と、目から鱗が落ちる思いがした。
 アラゴルンの別名が原作の日本語訳では「馳夫さん」なのは、昔話ふうで私は好きなんだけれど、それが泥臭くていやで原作が読めない、という知人もいて、『指輪物語』の訳語はむつかしいわねえ(でも戸田奈津子の最初の訳の「韋駄天」はないわよのさ)、と思っていたのだけれど、映画から観たひとにとっては『ロード・オブ・ザ・リング』はファンタジーで、昔話とはすこし違ったのだろう。原作ファンはそこのところや、映画の字幕には字幕なりの制限や役割があること(もちろん、映画自体にも映画なりの役割があって、それは原作の役割とはまた異なる。原作とまったくおなじにしたいなら、原作があればいいんだもの)をよく呑み込めずにいたのかもしれないな、と、あれから数年たって、そう思った。
 どうでもいいことだけれど、某人気アイドルグループの番組の某お料理コーナーの「何でも作らさせていただきます」の決まり文句が「さ入れ表現」であることについて、別のメンバーがオーナー役をつとめるときは、少なくともふたりは「作らせていただきます」と言っていた、とあって、

 偉いぞ、K君I君。

 と書かれているんだけれど、そ、その某人気アイドルグループはもしや、引退したのはMくんで、現メンバーのIくんとNくん以外は全員Kくんではないですか。どのKくんなのかすんごい気になる*1

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)

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*1:Tくんかなあ、Sちゃんじゃないんだろうなあ、と憶測する。超偏見です。