ただうつくしいものよりも

 駅で見かけたポスターがおやっと思うくらいすてきで、ふらっと訪れた展覧会「いとも美しき西洋版画の世界―紙片の小宇宙を彷徨う」*1で、ちょうどギャラリー・トークの真っ最中だった。
 ちいさな丸い銅版画は、誂えたようにぴったりの丸い額縁のなか。美術館の展示というよりどこかのお屋敷のインテリアみたい、と思っていたら、じつはこの展覧会の展示物はすべてとある個人蒐集家のコレクションなんですよ、という説明。なるほど、「ように」ではなくて、まさしく誂えられたわけですね。ひとりのひとの趣味らしく、宗教画を中心に……つまり殉教や背徳、メメント・モリといったテーマも含めて一貫した美意識のようなものが浮かび上がってくる、おもしろい内容でした。大ブリューゲルの『七つの大罪』は七枚すべて展示してあるのに『七つの美徳』のほうは二枚しかないとか。まあ、ねえ。その気持ちはわかります。ただうつくしいものより、醜悪で、でも魅力的、という題材のほうが、そそります。
 日曜日の午後だというのにひとがすくなくて、もったいないことよを思いながら巡ったけれど、貸出ルーペでエングレーヴィングの細い細い線を堪能しながら観るにはちょうど良い過疎具合だったかも。それで舐めるように独り占めしたオーブリー・ビアズリーの『サロメ』の連作。サロメの化粧室にある本は、『マノン・レスコー』やゾラの『ナナ』だったのね。悪女の本棚!
 ビアズリーはほかにポオの小説に寄せた作品もいくつか。もちろんポオはビアズリーの生まれるよりまえにこの世を去っているんだけれど、私のなかではポオはあまりにも早すぎた二十世紀の小説の先駆けで、ビアズリーは十九世紀に連なるさいごのひとしずくという存在なので、時空のゆがみを見ているような、へんな気分になるのだった。
 例のすてきなポスターは、上部には細緻な人物像が彫られているのに、下部は大胆な空白があって、わざわざこのポスターのために彫ったのかしらと思ったくらい現代的な構図。展示室で見たら、十七世紀初頭の作品で、彫っている途中のものが刷られたという説明だった。人物の衣服の袖がうっすらとビュランであたりをとられていて、まるでいま彫っている最中みたい。あしたになったら絵がかわっていそうな、生きているような作品だった。

*1:埼玉県立近代美術館にて、5月18日まで