その映画の舞台は「死都」

 ベルギー幻想美術館@Bunkamuraザ・ミュージアム*1
 先日行ったメアリー・ブレア展(id:moony:20090930#p1)でコンセプトアートというものに触れて、べつべつの作品を寄せ集めると、なにか大きな世界観を表現するという仕組みに興味を覚えたのですが、異なる作家たちの作品をテーマにそって選び抜き展示する展覧会(あるいは美術館)が、そもそもそういうかたちなんだなあ、ということに気づきました。
 それでもって、この展覧会の作品群がなにかの映画のコンセプトアートだとしたら……たぶん、その映画の舞台は「死都」じゃない?
 フェルナン・クノップフの『ブリュージュにて 聖ヨハネ施療院』の、流れがない運河のみなもを見て、そんなことを思いました。
 ヴェネツィアふうの井戸のほとりで、マクベスの魔女ばりに三人の老人がなにごとかささやき合っているウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンク『夜の中庭あるいは陰謀』とか、
 ヴェールをかぶった女性たちが、背格好もポーズもいっしょで、バレエのコールドのような、もっといえば『ジゼル』のウィリーたちのような『墓所に立てる三人の聖女』とか、
 サテュロスは下半身が山羊として描かれるから、バフォメットと混同されるのはむりもないけれど、いっしょに描かれたキューピッドまで小鬼のようで、神々というより悪魔を描いたように見えるフェリシアン・ロップスの『サテュロスを抱く裸の若い女』とか、
 とにかく、生気というものが感じられない(ほめことば)。
 移動遊園地で見た機械仕掛けの人体模型が女性像の原点だというポール・デルヴォーに到っては、いわずもがな。
 もっとも、このひとの描く、瞬きひとつしなそうな女性たちが、人間ではなく人形がモデルだったというのは、まあ、納得できる話です。
(私、デルヴォーの絵でもっとも生気を感じたのは、地元の美術館収蔵の『森』を見たときだなあ。裸体の眠り姫のような裸婦のまわりを、むせかえるような濃い緑が覆っているの)
 デルヴォーは展覧会でも油彩画を一、二点見られればいいほうなので、大量のエッチングリトグラフが一堂に会しているところを目の当たりにしたのは、貴重な経験でした。
 マグリットは、私、「すごく好き!」でもふしぎはないのに、なんでか、そうでもないのよねえ。と、ずっと思っていたことを、あらためて再認識しました。
(同類項にダリがいます)
 損保ジャパン東郷青児美術館の「ベルギー王立美術館コレクション ベルギー近代絵画のあゆみ」も、対をなすようで、気になるなあ……。