お正月料理と機会損失

 朝ごはんは七草粥。実家にいるころは、そういう、いちねんのうち数えるほどの珍しい食べ物は敬遠して、あんまり食べなかったのに、いざ自分が料理する段になったら、その類はむしろばんばん採用です。乏しいレパートリィでやりくりしている日々の献立に変化がつけられるというもの!
 もっとも、菘と蘿蔔を刻んでお米といっしょに炊飯器に入れてお粥モードにし、朝方、炊けたところに、これも刻んでおいた残りの七草を投入するというかんたん七草粥です。塩味の加減もよくわからなかったのでお醤油です。
 これがなかなか、おいしかったです。炊飯器って……、すごかったのね。ばかにしていてすまなかった、と思いました。おじや派を返上して、これからはもっとお粥を食べる機会をふやそうかしら。
 お正月の食べ物といえば、おせち料理。これも物心ついて以来、あんまりおいしいものという印象がなくて、だって主婦が年始に炊事をしなくてすむようにという保存食だもんねえ、塩分高め、味濃いめ。と、いつも伊達巻くらいしか食べていなかったのだけれど、家庭も持ったことだし、そろそろ正面から向き合ってみるかと、年末、お重詰めを予約しました(向き合い方がおかしい)。で、これまたおいしかったので、慄きました。
 もうひとつ、おせちでびっくりしたのは、お店で受け取ったおせちが、一見、漆塗りの重箱ふうのプラスチック容器に入っていたことです。なんだか、重々しくて耐久性が高そうで、使い捨てっぽくないの。漆塗りのお重は、そのうちにぜひ買おうと「ほしいものリスト」に載せておいた一品なので、こういうところでへんなものを入手しちゃうのはまずいのです! 私の、お買いものしたいという欲求を満たす機会を損失するじゃないですか! こまったなあと思いつつ、中身を食べ終えたので、中のトレイをはずして洗おうとしたら、じつは、漆塗りの重箱ふうのプラスチック製に見える紙製の箱(ややこしい)なのだと判明。日本の製紙技術の粋。あるいは、私の眼は節穴。
 しかしそうなると、あらあら、トレイのおかげで汚れていないから、臭いをとったら、小物入れにしようかしら。ちりめんの古裂を入れるのによさそうな、和風の入れ物が手に入ったわ。などという気が生まれてくるからふしぎです。いやあ、もう、なんなんだろう、これ。この手のひらの返しよう。
 しかし欧州のお菓子の空き箱をとっておくのは乙女なのに、おせちのお重をとっておくのはおかんですね。
 来年はおせちの手作りに挑戦しようかなあと、もう三百日以上もさきのことを考えています。そのまえに漆塗りのお重を手に入れないとだわ。