オリンピックのさみしさに

 バンクーバーオリンピックの開会式をTVで観ていた。
 開会式がはじまるまえ、観客席のそこかしこで観客のカメラのフラッシュが光っているのが見えて、まるで火を点したばかりの線香花火のようだった。いま地球上でいちばん光があつまっているところがここなんだろうと思った。
 選手入場では、開会式まえの練習ちゅうの事故でリュージュの選手亡くしたグルジアの選手団が、黒い腕章をして静かに行進していた。行列の最後尾の役員のおじさんが、すこし遅れてうつむきがちに歩いているのを観て、涙腺が決壊。
 日本選手団のなかに織田信成くんがまぎれているのが映し出されたのだけれど、そういえばこの子、四年前のトリノには、いちどは出場決定といわれたのに、じつは計算違いだと判明して、ショックで大泣きしていたなあ。それが、いま! オリンピックの選手入場で歩いちゃって!! と、お母さんのような気持ちになって、第二次決壊。
 開会式からこんなので、会期ちゅう、私の涙腺はだいじょうぶなのだろうか。と、すこし不安になった。
 それにしても、オリンピックの開会式といえば独身時代は、実家で家族とだらだら観ながら、やっぱりイタリアのユニフォームは今回もかっこいいねえとか、好き勝手なことを喋っていたものだった。バンクーバーが結婚して初めてのオリンピックで、主人が仕事で不在のため、しかたなく、ひとりで観ている。日本のユニフォーム、ユニクロで売ってそう。と呟いてもひとり。さみしい。このさみしさに耐えきれずひとは子作りするんではないかとさえ思った。ああ、こんなに子どもがほしくなったのは、手芸屋さんで赤ずきんちゃん柄のかわいい生地を見つけて、私に娘がいればこの布で幼稚園グッズをつくるのになぜいないのか! と思ったとき以来。何年後かのオリンピックの開会式には家族とともに、バミューダのユニフォームは冬でもバミューダパンツ。とか、囀っていられたらねえ。