足るを知る

 母が、結婚二周年のお祝いにごちそうしてくれるというので、夫婦ふたり、いそいそとお呼ばれしてきました。
 季節がら、お店のおすすめは河豚。母曰く、「こないだ河豚尽くしを食べてきたけれど、河豚はてっさより、唐揚げで食べたほうがおいしい」とのことで、まず河豚の唐揚げ。これはあたりまえのようにおいしかったです。白身魚だもの、揚げものにしておいしくないわけがない。
 つぎに、毛蟹。おうちではなく、お店で食べる毛蟹って、あとは食べるばかりに身から殻が剥いてあるから、手が痛くなくて、すてき!
 さいごにしゃぶしゃぶでした。お肉がさいごの一枚になって、追加する? と訊かれ、お腹けっこういっぱいだけれどおいしいし、おいしけれどお腹けっこういっぱいだし……と、さんざん迷って、する! と答えたけれど、これは失敗でした。追加注文したあと、そのさいごの一枚を口に含んだ瞬間に、満腹になった。この年齢になっても、自分の食べられる量がよくわかっていません。
 食べる量といえば。料理をつくりすぎて、途中でお腹いっぱいになっても、もったいなくてつい完食してしまう。それで太ってしまうんですよねえ、と太め体型によくあるいいわけめいた愚痴を、以前、職場で上司(スレンダー女性。スピリチュアル好き)にこぼしたら、それは、ちょっと違うのよ。と話してらったことがありました。
 残すともったいないというけれど、じゃあ、残さず食べたら、そのもったいないことを回避できたことになるのか?
 本来、「これだけ食べたら満ち足りる」という量があるのに、それを超過した量の食べ物を調理してしまっている、その時点ですでに、もったない事態は発生している。
 だから、それをぜんぶ食べたとしても、もったいないことには変わりがないし、覆すこともできない。というか、そのカロリーを消費するために運動するなら、その運動に費やす時間のぶん、さらにもったいない泥沼になっている。
「『足るを知る』ということなのよー。仏教系の本を読むと、たいていそこに行きつくのよー」
 そう教えてもらい、ほほー、じゃあ多めにつくっちゃった時点でもったいなさには変わりないから、むりして食べきらなくてもいいんだ! と、いたく感心したのですが。
 でも、おごってもらっている身で、しかも追加した和牛を残したりなんかできない……。もったいないとは違う問題だ、これは……。
 と、なんとかお肉を食べきりました。お腹がはちきれるかと思いました。
 しかし、上司の発言内容の胆は、「だから残してもOK」ではなくて、「多めに調理(または注文)しないように留意すること」だったような気がします。
 ……とすると、自分の食べるぶんがよく把握できないうちは、とにかく腹八分目を目指すのがよい、ということなのかしら……。そのうえで、どうしてもお腹が空いたら、なにかちょっとつまむ、という方針で。
 食事って、基本的にはおいしくて楽しくて天国なのに、ちょっと食べすぎたとたん、お腹が苦しいわ、残す罪悪感で心苦しいわで、地獄みたい。生まれてからいままでずっと、日に三度もしている、たぶん一生でいちばん回数の多い習慣のはずなのに、どうしてこんなに苦しさと隣り合わせなんでしょう。足るを知る、ってむつかしい。