徳川家康とえんがちょな本

 きょうは夫婦でおでかけしようと思っていたのに、主人が体調悪く、断念。
「ちょっとお買い物に行ってくるけど、なにかほしいものある? 買ってこようか?」
 と、「プリン」とか「フルーツ」とか返答があることを予想しつつ、ベッドで寝ている主人に声をかけたところ、よもやまさかの、
「じゃあ、徳川家康
 という返事。
 えー?
「もしかして、山岡荘八の『徳川家康』のこと?!」
「そう。ぼくは体調悪いときは山岡荘八を読むの。『伊達正宗』も『坂本龍馬』も読んだよ」
 結婚して、まる三年以上経って初めて知る、夫のなぞ習慣でした。
「でも、あれ、読破したことあるけど、全二十六巻もあるのに、おもしろいところ短いよ。人質時代と、秀吉が天下をとって以降だけだった」
 ……と、自分でいいながら、「それって総合するとけっこう長い期間がおもしろいことになるなあ」と気づいたので、つべこべいわず、買いに行くことにしました。新刊書店より品ぞろえがよさそうと踏んで古本屋さんに赴くと、なつかしの講談社文庫版も、山岡荘八歴史文庫版も全巻揃っていました。
 山岡荘八歴史文庫版の第一巻を購入。

徳川家康(1) 出世乱離の巻 (山岡荘八歴史文庫)

徳川家康(1) 出世乱離の巻 (山岡荘八歴史文庫)

 自分用には、山岸凉子の『ゆうれい談』を買いました。
ゆうれい談 (MF文庫)

ゆうれい談 (MF文庫)

 これは山岸先生が、あの自画像で登場する、エッセイ漫画です。だからそんなに怖くない、コミカルなお話だと思ったの。ところがどっこい、紹介されるエピソードがどれもこれも、すこし不可思議で、実際に起こりそうなものが多くて、読み終えたあと、なぁんだかうす気味悪い感じがしました。この世界でこの夜に、このお話をさいごに読み終えたのが、自分なのは厭だなあ、と思ったくらい。山岸作品の、もっと凄惨な絵で描かれたフィクションなんて、たくさんあるのに、そしてこれまでそれらを浴びるように読んできたのに、そんなふうに感じたことはいまだかつてなかったので、これはふしぎな感覚でした。本能的なえんがちょ感とでもいうか。
 それで、この本がある部屋で寝るのも避けたいなあと思って、寝室で『徳川家康』を読んでいた主人に、「寝るまえに、これも読むといいと思うよ」と『ゆうれい談』を渡して去りました。寝室は病人専用にして、私は和室で就寝。
 翌朝、「あの漫画、すごく怖かった」と主人に訴えられたけれど、おかげさまで私はぐっすりでした。その後は同じ部屋に置いてあっても怖い気分がしないので、やっぱり、読むこと自体がえんがちょになる本だったのかな。でも、怪談がテーマの本でそれだけ強い忌避感を呼び起こすというのは、すごく成功しているような気もする。