蝕と人心

 金環日食については、じつはあんまり興味がなくて、事前に日食グラスも用意していなかったのだけれど、いざ当日になったら、自宅近くの公園からにぎやかな声が届くわ、TVのニュース番組も特別態勢で煽るわ、欠け出したとたん目に見えてわかるほど屋外の明るさが減るわで、そわそわ。私があまりにも浮足立っているの見かねてか、出勤準備ちゅうの主人が「外で見てくればいいじゃない」とのことだったので、家を飛び出しました。
 公園へと向かう道すがら、あたりの家々から玄関の扉の開く音が立て続けにして、つぎつぎとひとが外へ現れたのは、いままで目撃したことがない、ふしぎな光景でした。まるで映画のなかの、戦争が終わった(それも、勝利で)とラジオが告げた直後のシーンみたい。
 公園がにぎやかだったのは、近くの小学校からひとクラスぶん、授業まえに先生ともど生徒たちが集まっていたからで、そのほかにもおとなもこどもも、ご近所のひとがたくさんいました。
 日食グラスがなかったので、直接太陽は見ずに、地面に落ちた木漏れ日が、金環日食のかたちに欠けていくのを観察。木の影のまにまにリング状の光がいくつも浮かび上がるのです。そういうふうになるのだとは知識として知っていたけれど、実際に目の当たりにしてみると、やっぱり、静かな驚きがありました。鏡にうつる花、水のなかの月、ということばはあるけれど、日光もまた、地球にふりそそぐ太陽の、余波や残り香のようなものにすぎなかったのね。
 観察している最中に、出勤する主人が公園のそばの道を通り過ぎたので、そこでいってらっしゃいをしました。これも生まれて初めての体験でした。
 蝕ということでTwitterのタイムラインが『ベルセルク』ネタと『十二国記』ネタと『天岩戸』ネタでカオスになっていたのもすごかったというか、やはり日食は人心を翻弄するわねえ。