『ポール・デルヴォー展 夢をめぐる旅』

 これがたぶんひとりで静かに美術館へ行けるさいごと、展覧会を観に行ってきました。
 お腹が大きいので趣味の展覧会鑑賞は躊躇しちゃうところだけれど、埼玉県立近代美術館*1は名作椅子のコレクションがあって、館内のあちらこちらで腰かけることができ、くたびれたときの心配がないので決行です。
 ポール・デルヴォーとの個人的な出逢いは、まだローティーンのころ、つめたい夜の街を背景に、これまたつめたい彫刻のような風貌の美女が横たわる、ふしぎな絵のポストカードを見つけて、なんとなく心惹かれて保存していたこと、そしてのちに、澁澤龍彦の著作によってその絵の作者の名を知ったことまで遡ります(以上、「ポール・デルヴォーと私」)。
 展示はデルヴォーの人生を辿るような構成でした。ごく初期の絵がまるで印象派のようで、ポール・デルヴォーは、さいしょからあのポール・デルヴォーというわけでもなかったのね、とほほえましかったです。
 学生時代は、芸術を学びたい本人と、もうちょっと実際的なことを学んでほしい家族との綱引きの結果、建築学を勉強することになったそうで、作品のなかの建築物がきっちりきっちり描かれているのはそのためかと納得しました。あのきっちりきっちりさが、夢のような人物像とのギャップでよりふしぎな雰囲気で、好きなんだけれど。
 で、デルヴォーといえばこれぞ、という、きっちりとした暗い背景に白い女性像が浮かび上がる、いわば絶頂期の作品群があって(キャンバスのなかに描かれる鉄道車両の、モデルをつとめた模型も、あわせて展示)、さらに近美収蔵の『森』。ほかの作品だと背景はつめたい、ベルギーってこんなふうなのかしらと思わせる石畳が煉瓦の街並みが多いけれど、こちらは樹木が鬱蒼と茂って、南国のよう。おきまりの裸婦も、ふだんの人形めいた無表情とは異なって、恍惚とした風情。これは画家が最愛の女性との十数年ぶりの再会をはたしたころのもの。
 そののち、晩年は、背景に人物が融け込むような、輪郭のないような画風に。私、この時期の作品はあんまり好きじゃないなーと、以前、べつの展覧会では思ったけれど、そうしてデルヴォーの人生を辿るように作品を観て巡ると、それはそれで、あの鉄道に乗って行きついた先の夢の国の風景のようで、いとおしく見えてくるのが、ふしぎでした。
 展覧会のおわりには、入場券の半券に「再入場可」のスタンプを押してもらいました。展示予定だった個人蔵の一作品が、所有者の健康上の理由とかでまだ展示できていないため、展示開始後にまた入場できるようという措置なのだそうです。その作品をリーフレットで観たけれど、なるほど、雰囲気があってすてきな作品。そして、自分の所有する芸術作品が展覧会で展示されるという人生も、私には縁遠いものだけれど、さらにさらに、このスタンプを押させるに至るという影響力も想像だにしなかったものがあるなあと、妙なところで感じ入ったのでした。なにはともあれ、所蔵家の方のご快癒をお祈りします。