さようなら2013年、ありがとう2013年

 き、気づいたら冬。
 というか、年末。
 振り返れば2013年は、自分自身が生まれた年以来の、衝撃的な年でした。……私、ぜんぜん憶えていないけれど、この世に生まれてきたときは、自分はすごくびっくりしていたと思うのよ、娘のものなれなさを見るかぎり。その2013年の衝撃の原因であるところの娘も、もはや生後六カ月です。
 三カ月検診では、ほかの赤ちゃんたちが泣いているなか、「股関節の検査を、遊んでもらっていると勘違いしてニコニコする」「聴覚検査用のラトルを勝手に奪って遊びだす」「ドクターとのお話ちゅう、診察室のベッドの上に寝かせていたら叫びだしてのでなにごとかと思ったら『かまって!』だった」……等々の空気の読めなさ(母譲り)を発揮した娘でしたが、その後、怒涛の予防接種ラッシュを経て、六カ月検診ではドクターを見た瞬間に泣きだしていました。学習してるぅ。
 身長は標準的だけれど体重はやや重め、この時季に五、六カ月の赤ちゃんで太めの子は寝返りが遅くなりますという診断で、まあこれは育児書で読んだのでおりこみ済み。その代わりというべきか、寝返りのまえにおすわりができるようになりました。でぶだから、体が重くて、安定するのかしら。ベビー布団のうえで、すわっている自分の手足をふしぎそうにながめている娘を観察していたら、そろそろと顔をあげて、こちらににっこり笑われたので、あーこんなことは育児書には載っていなかった、おすわりができるとおかあさんに笑ってくれますなんてことは。不意打ちだわあ。と涙してしまったのでした。
 こんなことでも泣いてしまうなんて、このさき、あと何ガロンの涙を流すことになるのでしょう。


 娘さんの誕生が神宮の式年遷宮といっしょの年なんてよかったね、記念になるね、と出産直後にいわれたときは、そんなものかしら、とピンとこなかったけれど、じっさいに十月の遷御の儀をTVで観たら、すごい年に産んでしまったという実感が湧きました。なぜかといえば、二十年まえの遷宮の際もおなじようにTVで観た記憶があるけれど、闇のなかに松明らしきあかりがぼんやり、人影らしき塊がぼんやりが揺れるだけの、それでもそれが当時はせいいっぱいの撮影技術だったろうに、今回は参列する方々のお召し物までわかるほど鮮明に映像にうつっていたからです。
 二十年ごとに同じことをする儀式なのに、記録する技術は目も眩むような進歩を遂げてしまって、娘が二十歳になるころの、つぎの式年遷宮はどんなふうにふれることができるんでしょう。……や、やっぱり、おうちのTVで観ても、飛び出して観えるのかな。それか意外にも、匂いも再現されるんだったりして。で、それを観て、前回は2Dだったのにねー、匂いもなかったしねー、だなんて感慨にふけって、そして生まれたての娘のふにゃふにゃとした感触も思い出すのでしょうか。