そして母は絶望する

 三連休。主人は趣味の活動の合宿に行ったので、娘と私は実家に二泊三日です。
 我が家でも当初、「できるだけ夫婦ふたりで子育てを完結させよう」という意気込みはあるにはあったけれど、主人が公私ともに忙しいのが好きだったり、双方の実家が自宅から自動車で十数分程度だったりで、結果御覧の通り、その意気込みは撤回されました。そもそも夫婦ふたりとも三世代同居(マスオ方式)の実家で、おばあちゃんに育てられてたので、祖父母世代のリソースを子育てに利用するのに敷居が低いのだった。
 そんなわけで二週間にいちどほどの頻度で私の実家を訪れていたら、おむつだのおふとんだのお着替えだの娘にかんする物資がいつのまにか実家に完備され、もう、別宅状態に……。
 そして、別宅での娘はとてもにぎやかなのです。唸っているのとも泣いているのとも違う、もゆもゆと短いピッチでつねになにか声を出しています。
 もしかして、本人は、おとなたちの会話に参加しているつもりなの……?
 えー、でも、自宅だと唸ると泣くのほかは、私が歌うといっしょにあーあーと長い声をあげるけれど(娘のお気に入りは『大きな栗の木の下で』と、ジョン・P・オードウェイ作曲、犬童球渓作詞『旅愁』です。共通項が「秋らしい歌」くらいしか見つからない)、おしゃべりっぽいことはあんまりしないなあ、母は話しかけているつもりなのになあ、と思ったところで、
(じつは心の声だけで話しかけていて、じっさいに声に出すのを忘れていたのでは?!)
 という疑惑が発生。
 なにせ、日中、母娘ふたりきりなので、主人は娘が寝付いたあと帰宅するので、証人がいません。
 ああ、こんどから気をつけよう。声だし、指さし、だいじ。
 しかし、こうしたふだん見られない娘のようすを目の当たりにすると、やはり、まわりにひとが多いほうが刺激になるのねえと感じ入り、そして母は絶望するのでした。保育園じゃなくて幼稚園に入れるつもりなのに、だいじょうぶなんだろうか、この子。入園まで、刺激が足りるのかしら。
 ……刺激、ぜんぶ実家じゃだめかなあ。だめじゃないだろうけれど、もうちょうっとこう、支援センターとか、お教室とか、同世代とふれあったほうが娘のためにはいいのだろうなあ。しかし母は出不精のうえひとみしりときたもんだ。いやいやとりあえず自宅での声だしから、声だし。と、ぐるぐるしています。